中島 規(47L)
高知新聞社広告局(嘱託

猛暑の夏日、7月も終わりが近づけば日没の街角はよさこい踊りで喧しい。

アーケード商店街、公園などで本番直前の練習がピーク。

「よっちょれ!よっちょれ!よっちょれよ!」、とよさこい節が鳴り響く。

終戦直後の高知はどこの地方都市とも同じ。
人の心は荒び、焦土と化した町並み、そして食糧難に喘ぐ。
少し復興の兆しが見えてきた頃、商工会議所が中心となり「よさこい祭り」は生まれた。

わが社もその一端を担ってきた。当初は盆踊りの延長のようなものだった。
ゆかた姿に女性は編み笠に下駄、男性はねじり鉢巻きに草履姿。

当時の若者に人気はなく、関心も薄かった。

そして、1980年初頭、国友須賀さんの出現により
「よさこい祭り」は革命的変化の一歩が始まる。

彼女は四万十川河口中村市に生まれ、桐朋学園大演劇科を卒業後、
劇団四季ほかで活躍後帰省。よさこい踊りの既成概念を取っ払った。
今まで見向きもしなかった若者は衝撃的カルチャーショックを受けた。

翌年からはそれを真似るチームはいくつかあったが、単なる真似ごとに過ぎず、
逆に騒音や若者のはしゃいだ態度に「よさこい祭り」そのものが非難に晒された時期が続いたが、
国友須賀さんに続けという若者の思いが勝り、年々若者の心を捉えるチームが増え、
やがて札幌のよさこいソーランに飛び火。

りょう原の火の如く全国に広まったのは、ご承知の通り。

毎年山本ひろ子先生とゼミ生が、高知県北東の山間にある大栃地区に
「いざなぎ流研究」のフィールドワークで来高されています。

大学キャンパスでも「いざなぎ流」シンポジウムなどが開催されたことを
ホームページで知りました。ありがたいことです。

在学当時の私はほとんど授業に出席することもない怠惰な学生でした。
しかしキャンパスは学生運動の名残などで混沌とはしていましたが、
学生は明日に向かって輝いていた、そんな感じがしました。

卒業後、縁があり広告一筋の人生でした。

梅根先生の和光大学は無流大学だという言葉を胸に
少しは頑張ってきたとの思いはあります。
先生ありがとうございました。

昨年3月広告局総務を最後に定年。嘱託として引き続き勤務しています。
子供3人も独立、それぞれの道で頑張っています。
孫ともども家族全員が揃うのが楽しみの一つです。

よさこい祭りは、毎年8月9日(前夜祭)10、11日(本祭)、
12日(後夜祭、全国大会)の日程です。

坂本龍馬、牧野富太郎もお待ちしていますので、是非高知に足を向けてください。

*よさこい踊りは、(1)鳴子を持つこと
(2)楽曲によさこいの一節を入れること
(3)踊りは常に前進、であとは自由です。
毎年、楽曲(地方車上でのライブがほとんど)、振り付け、衣装などに創意工夫が凝らされています。

人気チームはオーデションがあるほどです。
県外チームも年々増加。素晴らしいチームが晴れやかな舞を披露しています。

平成26年7月25日
中島 規