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【卒業生 近況報告】-学園生活の思い出-山本誠司さん(44H)

山本誠司(44H)

 

昭和44年元日の朝日新聞に掲載された記事にひかれて
岡の上の小さな実験大学に入学したのは今から45年前だ。

入学をした当初はカリキュラム闘争が真っ盛りで講義はなく、
学生代表との団体交渉が開かれていた。

深夜の団体交渉で印象的だったのは、あなたにとっての学問とはと学生に問われ、
マルク・ブロックの『歴史のための弁明』を引用され、
自らの学問に対する姿勢を述べられた田中実教授の言葉だった。

講義のない状況を前にして、新入生の意見を反映させるための組織を設けることが提案され、
私も44H有志連合の世話人の1人に名を連ねた。

やがて講義が開かれると行き場のない私達は、安永寿延教授の指導のもと、
ドイツイデオロギーの講読会を始め、またスポーツ研究会の名前のもと
入江克己先生の研究室に入り浸り、田中実教授の研究室にもお邪魔した。

また、研究棟横の芝生の上でバーベキューを行った際には、
野兎、山鳩の解体のため石原静子先生の研究室からマワスの解剖用のメス、鋏を拝借した。

今から考えれば先生方にとってはこのうえもなく迷惑な存在だったに違いない。

田中教授の外遊中には留守番役の学生と留守宅から鰻重の出前も注文した。
入江先生の結婚披露宴にはお祝いも持たずに出席してスピーチをし、
挙句の果てには2次会まで押し掛けた。

これらの先生方はいずれも既に鬼籍に入られたが、先生方や学友たちとは、
夏目漱石の『三四郎』の広田先生と佐々木与次郎らとを彷彿とさせるようお付き合いもあった。

すべてにおおらかで学生の多様性と自主性を重んじた和光の学風は、
しばし浮世を忘れさせてくれたが、そのことに不安も抱き、
ビジネスとして大学経営を考えた場合、和光大学の在り方については危うさも感じていた。

和光大学が学生の多様性と自主性を重んじつつも、
存在感のある大学として今後とも発信力のある多くの卒業生を
世に送り出し続けていかれることを願っています。

注1)新しい大学像を求めてという記事で、和光大学と日本福祉大学が
大々的に取り上げられました。昭和44年元日の朝日新聞だったと記憶しております。

注2)新入生の意見を反映させつための組織は
「44H有志連合」という名称であったと記憶しております。

各コアクラスから2名の世話人が出て、3コアから私(山本)と
中村登が世話人になりました。世話人代表は富山県出身の山岡均晴であったと思います。
中村登も山岡も鬼籍に入られました。

注3)原稿中、田中実教授、安永寿延は教授と表記し、
入江克己先生は先生と表記したのは、当時、入江先生が助教授であったのか、
講師であったのか記憶が定かではないので先生としました。

 

広場

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