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【卒業生インタビュー】なぜ和光大学に進学したのですか?-池田さん(42H)

池田(42H)
和光大学人文学部人間関係学科二期生
※和光学園高等部入学 15期生  1964年(昭和39年)4月入学
同校卒業          1967年(昭和42年)3月卒業

和光大学に進んだ事を語るには、つながりの深い高校時代を語らないと理解できないと思うので、高校時代から延べてみる。

私は、戦後第一次ベビーブームの真っただ中で生まれた。
父親は、専売公社の職員。母は専業主婦。生まれ育ちは二十歳まで東京港区の専売公社の職員住宅。
映画のオールウエイズの通り東京タワー建設を庭越しに見て育った。

高等部受験で希望の都立高校の入試で失敗し、中学担任の勧めで世田谷区の私立和光学園高校の二次試験に受験し、合格。

和光学園高校は、生徒の自主活動が盛んで、よく生徒に自分たちで考えさせ、いわゆる自治活動を奨励するという学校であった。また政治的発言や活動も自由。私は自然とこの学校になじみ、自由で楽しい学園生活を送った。

これが高校生活なのだと思っていたが、中学時代の友人に高校生活を聞いてみると、どうも高校生活を謳歌しているのは自分だけのようだと気づき始めた。特に公立校に行った友人たちは、次の大学進学の準備のためか、勉強中心で、クラブ活動もそこそこで、学校そのものに楽しさを感じている者は少なかった。

私は新聞部を創設し、指導教師の支援の下、初代部長を務めた。政治的には日韓条約締結問題、公明党創設、学園の中では、和光短期大学か四年生大学創設計画問題、クラブ活動紹介等を扱い、学園の近隣の商店からの広告集めから、活版印刷所との打ち合わせ等夜遅くまで仲間と活動した。
その活動の中で私自身、世の中の仕組みや政治的な問題に目覚め、その行動にも参加していくという、正に人生観が変わり、物の見方が大きく開けていくきっかけにもなった。

こんなこともあった。和光大学創設に、我が新聞部は反対との意思表明をした。
主な理由は、高校の今の現状からグランドは狭いしクラブの部室はほとんどない。新聞部の部室は校舎の裏の木造物置の中の一角をやっと見つけて3畳程度を借りたのが出発。
このように、少なくとも部室らしき所が確保されていたのは、関東大会まで進む力があったラグビー部や、バレー部程度。要するに、大学を創るカネがあるならもっと高校の設備を充実させてほしいということであった。しかし大きな運動にはなりえるはずもなかった。

私は、高校生活から将来は大学に進み、社会科教師かジャーナリストになりたいと漠然と思い始めていた。
和光大学建設は四年生大学として建設は進み、第一期生が入学した。当然和光学園高校の卒業生も多く進学していき、私の親しい先輩友人も進学した。

和光大学へ進学した先輩友人から聞くと、梅根学長の考え方は、自由な大学を作りたいということで、和光学園高校の精神を強く受け継いでおり、特に人文学部には、進歩的な著名な学者が名を連ねておりとても楽しい。
また自治会もできて、大学側と交渉もし、いろいろあるが、これからが楽しみだなどと言うことを聞き、結構魅力的に感じた。
人文学部に「人間関係学科」があり、教員免許も小学校を除けば取れるということで、高校の担任にも勧められて、かつて「大学設立反対」と言っていた自分も行ってみようかなというように変わってきた。
同時に、新聞部活動を行っていた関係で、和光学園の成り立ち、歴史に興味を持ち、他の高校の新聞部の交流等を行ううちに他校とは違う和光学園の教育に対する取組のすばらしさを少しずつ学んでいくことができた。

入学時の梅根悟学長の挨拶に「小さくてもダイヤモンドのような大学を」の言葉に感銘し、一緒に作る大学なのだという気持ちがわいてきた。コアクラスも40人くらいで、キャンプや飲み会等、結構一年目は楽しかった。

70年安保問題が近づくに当たり、和光大学も大きな全国的な学生運動に巻き込まれていき、コアクラスもバラバラになり、学園内の暴力事件の対応で教授会への不信なども起こり、正直言って当所の胸弾むような大学生活は薄れていった。私自身も学生運動にも係わり、いろいろつらい事や嫌なことも多かったが、それでも結構授業にも出席し、卒業論文も提出できた。

私は、クラブ活動で旅行研究会に入ったことがきっかけで、よく長野県に出かけた。スキーも覚え、中でも白馬村の民宿にはよく泊まった。地元の人との交流の中で、白馬村の抱える問題を卒論で扱うことに決め、少し研究をした。内容について簡単に言うと、白馬村の中で一方では八方尾根(長野オリンピックのジャンプ台のあるところ)中心に大資本が山を丸裸にして環境破壊とまで言われるスキー場開発を行い、民宿が潤っている所があれば、もう一方ではそれをうらやましく思いながらも、環境破壊はしたくないので、地場資本中心にしながら、足らない部分を大資本の協力も得て、そこそこのスキー場開発をしたいという計画を立てた中で、大資本側に裏切られていくという内容である。

この論文について、ある社会学の教授が「君の卒論は、自分の所に提出された中では一番面白かったよ。荒れた大学生活の中で、ほっとした。」と言われたことが大変うれしかった。

今後の和光大学に、私なりに期待するとすれば、今後益々児童数減少で経営は大変になっていくと思うが、見学の精神に立ち返り、特徴のある大学にしていってほしいと思う。

失礼かと思うが、なんとなく普通の大学になっているような気がするので。

広場

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